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『恐るべき子供たち』
『Les Enfants terribles』
(1949)

スタッフ
製作: O.G.C. Organisation Generale Cinematographique
同: メルヴィル・プロ Melville-Productions
製作代表・製作主任: ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
製作主任: ジャック・ブラレー Jacques Braley
原作: ジャン・コクトー(Jean Cocteau)の小説(『恐るべき子供たち Les Enfants terribles』)による(ベルナール・グラッセ刊)
脚本・監督・ナレーションの選定と執筆・美術: ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
脚本・台詞: ジャン・コクトー Jean Cocteau
撮影監督: アンリ・ドカ Henri Decae
カメラ・オペレーター: ジャン・ティボーディエ Jean Thibaudier
助監督: クロード・ピトノー Claude Pinoteau
同: ジャック・ギモン Jacques Guymont
同: ミシェル・ドラシュ Michel Drach
編集: モニーク・ボノ Monique Bonnot
編集助手: C.Charbonneau
同: C・デュラン C.Durand
美術(制作): エミール・マティス Emile Mathys
N・ステファーヌとR・コジマのドレス: クリスチャン・ディオール Christian Dior
メイク: アラケリャン Arakelian
音楽: ヴィヴァルディ「合奏協奏曲イ短調」
同: J・S・バッハ「4台のピアノのための協奏曲イ短調」(ヴィヴァルディ「四つのヴァイオリン〔と弦楽〕のための協奏曲ロ短調、作品3〔の10〕による」)
ピアノ: ジャクリーヌ・ボノー Jacqueline Bonneau、アンドレ・コラール Andrée Collard、ジュヌヴィエーヴ・ジョイ Geneviève Joy、エレーヌ・リシュパン Elaine Richepin
歌: メルヴィン・マルタン Melvin Martin 『Were You Smiling At Me』
音楽監督: ポール・ボノー Paul Bonneau
録音: ジャック・ガロワ Jacques Gallois
同: ジャック・カレル Jacques Carrère
同: R・デュラン R.Durand
スチール写真: A・ディノ A.Dino
キャスト
エリザベート Élisabeth: ニコル・ステファーヌ Nicole Stéphane
ポール Paul: エドゥアール・デルミット Edouard Dermithe
ジェラール Gérard: ジャック・ベルナール Jacques Bernard
ダルジュロス Dargelos: ルネ・コジマ Renée Cosima
アガート Agathe: ルネ・コジマ Renée Cosima
マリエット Mariette: アドリーヌ・オーコック Adeline Aucoc
医師 le médecin: モーリス・ルヴェル Maurice Revel
ジェラールの叔父 l'oncle de Gérard: ロジェ・ガイヤール Roger Gaillard
ミカエル Michael: メル・マルタン Melvyn Martin
校長 le proviseur: ジャン=マリ・ロバン Jean-Marie Robain
学監: エミール・マティス Emile Mathys
モデル le mannequin: アナベル・ビュッフェ Annabel Buffet
母 la mère: マリア・シリアクス Maria Cyliakus
列車の乗客: ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
同: ジャン・コクトー Jean Cocteau
その他の出演: ラシュエル・ドヴィリス Rachel Devirys、エレーヌ・レミ Hélène Rémy、エティエンヌ・オーブレイ Etienne Aubray

モノクロ
107分。配給 = ゴーモン
1949年11月から1950年1月まで、パリ、モンモランシー、エルムノンヴィル、ピガール劇場にてロケ撮影
及びジェンネル撮影所にてセット撮影。
パリ公開 = 1950年3月29日
国内盤DVDあり。国内盤DVD、VHSビデオレンタルあり。海外盤DVDあり。DVD情報はこちら

なお、スタッフやキャスト等のデータに関しましては、主に「サムライ」(ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社刊)、「キネマ旬報 1973 616」(シネ・ブラボー ジャン=ピエール・メルヴィル追悼(1)山田宏一)、「Jean-Pierre Melville/An American in Paris」(Ginette Vincendeau著)の3冊を参考とさせていただいております。
また、スタッフの役職名等、映画本編のエンドクレジットとは多少表記が異なると思われる部分もございます。


レビュー
鬼才ジャン・コクトーが1929年に発表した自身最後の小説を、当時新人映画監督だったメルヴィルが監督、映画化した作品。

コクトーはこの作品の映画化を長らく自他共に認めていなかったものの、メルヴィルの長編処女作「海の沈黙」を観て感激、この新人映画作家に映画化を委ねることになります。
これにはコクトーがメルヴィルに監督を依頼したという説と、逆にメルヴィルがコクトーに映画化権譲渡を懇願した、との二説ありますが、どうやら前者の方が正しいようです。

メルヴィルは長編処女作の「海の沈黙」がやはり文学作品の映画化であったために、次の作品は別の種のものにしたかったようなのですが、コクトーに抜擢されたという事実が自尊心をくすぐり、やってやろうという気になったと後に述べています。

ただ、コクトーはこの作品の映画化権譲渡に当たっての契約上の条件をメルヴィルに付けます。
それは、画家志望でコクトーの稚児だったエドゥアール・デルミットを弟のポール役に起用することです。

特に、コクトーがエドゥアール・デルミットの起用を推した理由は、その容姿に、コクトーが過去に溺愛していたレイモン・ラディゲの面影を見出したからという説があります。
ただし、後にメルヴィルは、デルミットは明らかにミスキャストで、本当ならば、ポール役にはもっと線が細く、ソフトでとらえどころのない俳優を望んでいたのだが・・・と述懐しています。
確かに、この映画のデルミットはよくやってはいるものの、メルヴィルの言う通り、ポール役のイメージと食い違うという印象は否定できないでしょう。

コクトーはこの作品の脚本、台詞、美術、ナレーションも担当しています。(ついでにポールの心拍音まで!)
また、ニコル・ステファーヌ、ルネ・コジマの衣装デザインをクリスチャン・ディオールに依頼したのもコクトーです。
特に、全編にわたって挿入された彼自身によるナレーションが印象的。

「コクトー独特の朗読のスタイルとテクストによって、詩人の刻印がくっきりと記された映画になったと言えよう。」(この映画の東北新社盤DVD、山田宏一氏の解説より)

デルミットの様子を見るために毎日のように撮影現場に顔を出していたコクトーは、撮影初日にメルヴィルを差し置いて勝手に「カット!」と叫んだり、メルヴィルに演出上の注文を付けて対立したり、さまざまなエピソードもあったようですが、コクトーあってのこの作品、ということは疑いのない事実でしょう。

ただ、メルヴィルが常にコクトーの言いなりであったかというと必ずしもそうではなく、例えば、全編に渡って使用されたバッハとヴィヴァルディの音楽はメルヴィルの選択で、コクトーは渋々これを認めたとのことです。
実際、この作品に使われたバッハの音楽は、古典的な格調をこの映画に与えると共に、子供たちの激しい感情の高まりや心の揺れ動きを端的に表しているようで、とても効果的だと思います。



それにしても素晴らしいのはエリザベート役のニコル・ステファーヌ。
その身振り手振りのジェスチャーの大きな演技は、いささか演劇的ではありますが、これが映画出演2作目(1作目は「海の沈黙」)とはとても思えない堂々とした演技と存在感です。
映画後半の鬼気迫る演技は、まさに圧巻で、ラストも衝撃的です。
コクトーは始めは彼女の起用に反対でしたが、すぐに彼女に夢中になったということです。
メルヴィルも、彼女の演技と存在感を絶賛し、それによってデルミットの存在感のなさを忘れさせてくれるとまで言っています。

また、ジェラール役のジャック・ベルナール、アガート役(ダルジュロス役と2役)のルネ・コジマも素直な演技で、端正な容姿、存在感とも、とても良いと思います。

後にヌーヴェルヴァーグを牽引するフランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルなどもこの映画に熱狂した人たちで、トリュフォーなど、新人監督時代メルヴィルに会った時、この映画を25回観たといい、シャブロルは、監督作「いとこ同志」で、この作品のキャメラマン・アンリ・ドカエに「恐るべき子供たち」と同じようなカメラワークを要求したというくらいです。

この作品は、後のメルヴィルの暗黒映画のイメージからは程遠い作品ですが、「海の沈黙」、また後の「影の軍隊」などと同じく、文学作品の映画化という難題を高いレベルでクリアしており、その実力は、(コクトーの協力があったとはいえ)やはり並大抵のものではないと思います。

実際、私自身のこの作品に対する評価はどうかと言いますと、作品としての完成度は高く評価するものの、後のフィルム・ノワールの傑作群に比べ、(メルヴィルの監督作品としては)今一つ好きになりきれない作品という印象は正直言ってあります。
それは“子供”と銘打った作品にもかかわらず、主人公二人がどことなく老けて見えること、やはりデルミットの容姿とイメージに不満が残ること、コクトーのナレーションの声が、メルヴィルが褒めるほどには良い声に思えないこと・・・などが理由として挙げられます。
しかし、この作品が優れた青春映画の傑作であることに疑いはありません。