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『モラン神父』
『Léon Morin,prêtre』
(1961)

スタッフ
製作: ローマ=パリ・フィルム Rome-Paris Films
同: C.C.シャンピオン(ローマ) C.C.Champion(Rome)
製作代表: カルロ・ポンティ Carlo Ponti
同: ジョルジュ・ド・ボールガール Georges de Beauregard
原作: ベアトリクス・ベック(Beatrix Beck)の小説による(ガリマール刊)
製作主任: ブルーナ・ドリゴ Bruna Drigo
脚本・脚色・台詞・監督: ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
助監督: リュック・アンドリュー Luc Andrieux
同: フォルカー・シュレーンドルフ Volker Schloendorff
同: ジャクリーヌ・パレー Jacqueline Parey
撮影監督: アンリ・ドカ Henri Decae
カメラ・オペレーター: ジャン・ラビエ Jean Rabier
カメラ助手: ジャン=ポール・シュワルツ Jean-Paul Schwarz
同: クロード・アミオ Claude Amiot
製作進行: マルセル・ジョルジュ Marcel Georges
製作進行補佐: エディット・テルツァ Edith Tertza
音楽: マルシャル・ソラル Martial Solal
ハーモニカ: アルベール・レネル Albert Raisner (オルタンシア刊)
編集: ジャクリーヌ・メピエル Jacqueline Meppiel
同: ナディーヌ・マルカン Nadine Marquand
同: マリ=ジョゼーフ・ヨヨット Marie-Josephe Yoyotte
同: ドニーズ・ド・カサビアンカ (ノンクレジット)
同: アニエス・ギユモ (ノンクレジット)
美術: ダニエル・ゲレ Daniel Guéret
美術助手: ドナルド・カードヴェル Donald Cardwell
装置: ロベール・クリスティド Robert Christides
記録: ジャクリーヌ・ドカ Jacqueline Decae
録音:
ギー・ヴィレット Guy Villette
整音(サウンド編集): ジャック・モーモン Jacques Maumont
マイク担当: ロベール・カンブーラキス Robert Cambourakis
録音: ジャン・ゴードレ Jean Gaudelet
衣装: プーレット・ブレイユ Paulette Breil
メイク: クリスティアーヌ・フォルネッリ Christine Fornelli
スチール写真: レイモン・コシュティエ Raymond Cauchetier
装飾: ジャン・ブリュネ Jean Brunet
同: ロベール・テスタール Robert Testand
字幕デザイン: ジャン・フーシェ Jean Fouchet



キャスト
レオン・モラン Léon Morin: ジャン=ポール・ベルモンド Jean-Paul Belmondo
バルニー Barny: エマニュエル・リヴァ Emmanuele Riva
クリスティーヌ・サングルダン Christine Sangredin: イレーヌ・タンク Irène Tunc
バルニーの娘フランス France: マリエル・ゴッジ Marielle Gozzi (幼少期)
同: パトリシア・ゴッジ Patricia Gozzi
サビーヌ・レヴィ Sabine Lévy: ニコール・ミレル Nicole Mirel
リュシエンヌ Lucienne: ジゼール・グリム Gisèle Grimm
エデルマン Edelman: マルコ・ベアール Marco Béhar
マリオン Marion: モニーク・ベルト Monique Bertho
アルレット Arlette: モニーク・エヌシー Monique Hennessy
ダニエル・オルダンベルク Danielle Holdenberg: エディット・ロリア Edith Loria
友人の娘: シャンタル・ゴッジ Chantal Gozzi
所長 le directeur: エルネスト・ヴァリアル Ernest Varial
秘書 les secrétaires: ネリ・ピトール Nelly Pitorre
同: シモーヌ・ヴァニエ Simone Vannier
同: リュシエンヌ・ルマルシャン Lucienne Marchand
特務曹長 le feldwebel: ジェラール・ビュール Gérard Buhr (特別出演)
ドイツ軍大佐 colonel: ハワード・ヴェルノン Howard Vernon(特別出演)
ベティ Betty: マドレーヌ・ガンヌ Madeleine Ganne (ノンクレジット)
教会の老婦人 la vieille dame dans l'église: アドリーヌ・オーコック Adeline Aucoc (ノンクレジット)
主任司祭 le curé: ルイ・サン=テヴ Louis Saint-Eve (ノンクレジット)
ドイツ人歩哨: フォルカー・シュレーンドルフ Volker Schloendorff (ノンクレジット)
他の出演: セドニック・グラン Cedric Grant、Marc Heyraud、Nina Grégoire、Micheline Schererre、Renée Liques、George Lambert

モノクロ
128分。配給 = リュクス・フィルム
1961年1月から3月まで、グルノーブルにてロケ撮影、及びジェンネル撮影所にてセット撮影。
パリ公開 = 1961年9月22日。
1961年度ヴェネチア国際映画祭ヴェネチア市グランプリ受賞。
国内盤DVDあり。海外盤DVDあり。DVD情報はこちら

なお、スタッフやキャスト等のデータに関しましては、主に「サムライ」(ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社刊)、「キネマ旬報 1973 616」(シネ・ブラボー ジャン=ピエール・メルヴィル追悼(1)山田宏一)、「Jean-Pierre Melville/An American in Paris」(Ginette Vincendeau著)の3冊を参考とさせていただいております。
また、スタッフの役職名等、映画本編のエンドクレジットとは多少表記が異なると思われる部分もございます。



レビュー
ベルギーの女流作家であるベアトリクス・ベックが1952年に発表した自伝的小説「Leon Morin, pretre」を映画化したもの。(原作は、1952年にフランスで最も権威のある文学賞と言われるゴンクール賞を受賞)
この作品は、日本では長らく未公開であったため、原題に従って『レオン・モラン神父』、または『司祭レオン・モラン』などという邦題で知られていましたが、1997年に国内の一部で『モラン神父』という邦題で公開され、おなじみのルイ・ノゲイラ著『サムライ』(井上真希訳 晶文社刊)でも『モラン神父』という邦題で記述されていますので、このHPの記述もそれに従っています。

この作品は、1961年のヴェネチア国際映画祭でヴェネチア市グランプリを受賞し(メルヴィルの生前では唯一の映画賞)、メルヴィルの監督作品としては、初めて大々的にヒットした映画です。
残念ながら、いまだに国内ではこの作品の映像ソフトが存在しないため、日本語字幕でこの作品を観ることはほぼ不可能ですが、英BFI盤DVDの存在によって、英語字幕ではあるものの、この作品を鑑賞することが可能となっています。(仏盤DVDも存在し、私も所有しています)

そのお蔭で、私もこの作品を観ることができましたが、根本的な英語力の不足と、作品に難解な宗教用語がところどころに散りばめられていることから、内容をきちんと理解することは大変困難でした。
そのため、これから記載するレビューも、非常に大雑把に作品をとらえた結果であることをご了承願います。
また、このHPを見て下さっている方のほとんどがこの作品を未見だと思われますので、このレビューでは、極力ネタバレを避けつつ、作品の周辺の事柄を中心に紹介していこうと思います。

これは、題名から想像できるように、他のメルヴィルの犯罪映画とは全く異なる内容の映画です。
第二次世界大戦下のフランスのアルプス地方の田舎町を舞台とした、バルニーという子持ちの未亡人女性と、レオン・モランという若い神父の対話を中心とした物語です。
その二人の宗教的な内容の対話が作品のかなりの比重を占めていることからいっても、宗教が大きなテーマの作品であることは確かなのですが、もともとメルヴィルには、信仰の問題を深く掘り下げようと意図はなかったらしく、映画を観た印象としても、“宗教映画”という印象はほとんどありません。
乱暴な言い方をすれば、宗教的な言葉の意味や内容は映画的にはさして大きな問題ではなく、むしろ、登場人物のちょっとした無言の表情だとか手先の仕草などで、その心理状態が雄弁に語られている点が、大変にメルヴィルらしいところだとという印象です。
物語はバルニーのナレーションによって進行し、神父の心理、胸の内は一切といってよいほど明らかにされません。

それにしても、この作品が長らく日本で公開されなかったのは、今更ながら残念です。
なぜなら、メルヴィルがフィルム・ノワールだけの映画作家ではないことが、この作品を観ればよく分かるからです。
だからといって、メルヴィルの個性が現れていないかというと決してそうではなく、むしろ、この作品を観ると、メルヴィルにしか撮れなかった作品だという印象が残ります。
事実、メルヴィルは、デビュー作の『海の沈黙』から『恐るべき子供たち』、『影の軍隊』と文芸作品の映画化を大変得意としていましたし、この作品のトーンも、どちらかというと『海の沈黙』に非常に近く、人の出会いと別れを非常に繊細なタッチで描いた作品なのです。
ドラマチックな展開もほとんどといってよいほどなく、確かに地味な作品ですが、いくつもの印象的なシーンに彩られた大変に美しい映画で、男性映画ばかり撮っていたというイメージがあるメルヴィルが、ここでは女性の心理をキメ細やかに描ききっている点に驚かされます。(それでも決して通俗的なメロドラマ風に仕上がっていないのはさすが)

盟友アンリ・ドカのキャメラは、この作品でも大変に冴え渡っています。
『モラン神父』は、そのモノクロ映像が例えようもなく美しい作品であり(神父の部屋などでの照明の使い方の巧さ!)、これは、メルヴィル&ドカの最高傑作の1本ではないでしょうか。
また、前作『マンハッタンの二人の男』でも音楽を担当していた、マルシャル・ソラルの音楽も映画にマッチしていて、とても効果的です。



そして、なんといっても主演二人の演技が素晴らしい。

この作品は、ジャン=ポール・ベルモンドを主演に起用した初めてのメルヴィル作品となります。
この後、『いぬ』、『フェルショー家の長男』と、ベルモンド主演作が3本立て続けに撮られることになります。

メルヴィルがベルモンドに初めて会ったのは1959年、ゴダールの『勝手にしやがれ』の一場面(オルリー空港でベルモンドが階段を降りてきて、メルヴィルはキャメラに背を向けて階段を上っていく場面)のことだといいます。
言うまでもなく、メルヴィルは『勝手にしやがれ』にアメリカの大作家パルヴュレスコ役として俳優として出演しており、普通なら、撮影前に二人の間で、一言二言挨拶があってしかるべきでしょうが、二人は本当にそこで(映画のワンシーンで)すれ違っただけのようで、それがそのままフィルムに残されているというのも、いかにもゴダールの映画らしく、面白いところです。

ルイ・ノゲイラ著「サムライ」によれば、1960年秋頃、メルヴィルは、ジュルジュ・ド・ボールガールとカルロ・ポンティ(当時二人は「ローマ=パリ・フィルム」を設立)に持ちかけられた『モラン神父』の監督を引き受けることになります。
そして、メルヴィルはそれから、ポンティの誘いでイタリアへ行き、ポンティ製作、ベルモンド出演、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ふたりの女』の撮影現場を訪れ、ベルモンドに本作の出演を依頼します。
その時、ベルモンドはその依頼に実に煮え切らない態度を示したといいますが、ある意味それも当然で、いきなり“神父”の役を振られたら、普通の俳優なら尻込みするか、断るところでしょう。
ましてや、快活な役柄を売り物にしつつあったベルモンドです。

それでも、この役を受けたのは、カルロ・ポンティ、ジョルジュ・ド・ボールガールの製作という側面が大きかったのではないでしょうか。(ジョルジュ・ド・ボールガールは『勝手にしやがれ』のプロデューサーで、いわばベルモンドの恩人といってよい人物)
事実、ベルモンドの神父役とは、彼の持っているイメージからすると、なんとも想像のつき難いものですが、これが、意外なほどハマッっており見事な出来栄えなのです。
神父としての振舞いが堂に入っているのはもちろんのこと、“神父レオン・モラン”という、確かにある種の人物像をしっかりと作り上げているのには驚かされます。
ただ、それに至るまではそれなりの苦労があったようです。

【例えばベルモンドだ。彼は一九六一年にすでに『勝手にしやがれ』で売り出したスターであった。彼は活発に演ずる役者であった。だが彼が初めてメルビルの『司祭レオン・モラン』に出演したとき、彼はこの脚本を余り尊重せず、自分勝手な演技をしようとした。メルビルはその彼に怒鳴った、「やり直せ。お前はラシーヌを読んでるんじゃないんだよ!」。口ごもっている彼にさらに言う、「ホンの読みかたまで教えなきゃならないのか。十五分待つから正確に暗記しろ」】 (引用―「キネマ旬報」1972年12月下旬号 NO.595 より)

俳優に厳しいと世評の高いメルヴィルに必死に食い下がった結果でしょうか、結果はベルモンドの実力を示す見事なものとなりました。
これは、ベルモンドが好きな方には是非一度観ていただきたい作品です。(観たくても観れないよ!と文句言われそうですが)



そして、バルニー役を演じたエマニュエル・リヴァ。
日本では、アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』でよく知られた女優ですが、ここでも、その清潔感のある凛とした美しさといい、繊細な演技といい、実に素晴らしい。
演技の出来栄えとしては、ベルモンド以上に見事で、まさにこの映画は、リヴァのための映画といってもよいのではないかと思います。

もともと、メルヴィルは『二十四時間の情事』を観て、エマニュエル・リヴァのことが大変気に入っていたとのことです。
先に述べたように、この作品はベアトリクス・ベックの自伝的小説が原作であり、メルヴィルはベアトリクス・ベックのことも実際に知っていたので、バルニー役には彼女に似た人物を探す必要があったとのこと。
後に、リヴァほどベックに似た人物には会っていないと語っており、当然のことながら、この作品のリヴァのことを「素晴らしい」と絶賛しています。(参照―ルイ・ノゲイラ著「サムライ」)

映画の中で、建物の二階にある神父の部屋を訪ねるために、バルニーが階段を一歩一歩上っていくシーンがいくつかありますが、そのワンシーン、ワンシーンがどれもバルニーの心理状態によって微妙に異なり、そのいずれもが大変印象的なシーンとなっています。
『二十四時間の情事』の印象が強いせいか、彼女は笑顔の少ない、堅苦しいイメージのある女優ですが、この作品のリヴァは、ふとした瞬間に見せる、とぼけたような表情も大変魅力的。

また、クリスティーヌ役のイレーヌ・タンク、サビーヌ役のニコール・ミレル、アルレット役のモニーク・エヌシーといった、バルニーと同じオフィスで働く女優たちの姿も、この映画の華やかな点と言えましょう。

この作品は、当初は3時間13分に及ぶ長い作品だったとのことですが、メルヴィル本人の意向により現行版(ルイ・ノゲイラ著『サムライ』には128分と記載されていますが、英BFI盤DVDはPAL盤特有のスピードアップによって112分。私が所有している仏盤DVDも同じ条件なので112分)にカットされました。
そのせいでしょうか、ところどころでつながりが不自然な、中途半端とも思えるカットが散見されます。
できることなら、完全版を観たいところですが、まず無理でしょうね・・・。