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『リスボン特急』
『Un flic』
(1972)

スタッフ キャスト レビュー あらすじ

スタッフ
製作: コロナ(パリ/ローマ) Films Corona(Paris/Roma)
製作代表: ロベール・ドルフマン Robert Dorfmann
製作主任: ピエール・サン=ブランカ Pierre Saint-Blancat
原案・脚本・台詞・監督: ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
監督補: ジャン=フランソワ・ドロン Jean-François Delon
助監督: マルク・グリュヌボーム Marc Grunebaum
同: ピエール・タチ Pierre Tati
撮影監督: ヴァルテル(ワルター)・ウォティッツ Walter Wottitz
カメラ・オペレーター: アンドレ・ドマージュ André Domage
撮影助手: ヴァレリー・イヴァヌー Valéry Ivanow
進行: ジャン・ドルーワン Jean Drouin
フィリップ・ケニー Phillip Kenny
編集: パトリシア・ネニー Patricia Nény
編集助手: マリー=ジョゼ・オデイアール Marie-José Audiard
同: ソフィ・タチ Sophie Tati
美術: テオ・ムーリッス Théo Meurisse
美術助手: エンリケ・ソノイス Enrique Sondis
装置: ピエール・シャロン Pierre Charron
装飾: ルネ・アルブーズ René Albouze
衣装: コレット・ボード Colette Baudot
カトリーヌ・ドヌーヴの黒いドレス: イヴ・サン・ローラン Yves Saint-Laurent
毛皮: ジャンヌ・ナタフ Jeanne Nataf
記録: フロランス・モンコルジェ Florence Moncorgé
録音(音取り): アンドレ・エルヴェー André Hervée
サウンド編集 モーリス・ローマン Maurice Laumain
音楽: ミシェル・コロンビエ Michel Colombier
録音: ジャン・ネニー Jean Neny
エンディング・テーマ(歌): イザベル・オーブレ Isabelle Aubret 「事が起こるように
エンディング・テーマ(作詞): シャルル・アズナブール Charles Aznavour

Chacun de nous est seul sur l'autre rive
Du fleuve trouble des passions
Pour voir partir à la dérive
Ses illusions
Adieu ce qui fut nous
Vive que vive
Le destin a tiré un trait
C'est ainsi que les choses arrivent
Arrivent
Voici venir le temps des regrets

孤独の岸にたたずみ
独り思い悩む時
流れに身をまかせたくなる
つまらない幻想にはさようなら
運命のいたずらに
人の哀しみを知ったあなた
今は 独り後悔の時

映画冒頭のエピグラフ: “Les seuls sentiments que l'homme ait jamais été capable d'inspirer au policier sont l'ambiguïté et la dérision...”
  François-Eugène Vidocq


刑事が人間に抱く感情は疑いと嘲りだけである…
  フランソワ=ユジェーヌ・ヴィドック



キャスト
エドゥアール・コールマン Édouard Coleman: アラン・ドロン Alain Delon
カティ Cathy: カトリーヌ・ドヌーヴ Catherine Deneuve
シモン Simon: リチャード・クレンナ Richard Crenna
ポール・ウェベル Paul Weber: リカルド・クッチョーラ Riccardo Cucciolla
ポールの妻 sa femme: シモーヌ・ヴァレール Simone Valère
同性愛者の紳士: ジャン・ドサイ Jean Desailly
モラン Morand: ポール・クローシェ Paul Crauchet
ルイ・コスタ Louis Costa: マイケル・コンラッド Michael Conrad
マルク・アルプイ Marc Albouis: アンドレ・プッス André Pousse
ギャビー: ヴァレリー・ウィルソン Valérie Wilson
運び屋マチュー Mathieu la valise: レオン・ミニスニ Léon Minisini
銀行の出納係: ロジェ・フラデ Roger Fradet
病院の受付係: カトリーヌ・ルティ Catherine Rethi
銀行員: ピエール・ヴォディエ Pierre Vaudier
運び屋に麻薬を渡すギャング: ジャン=ピエール・ポジェ Jean-Pierre Posier
同: ジャック・ルロワ Jacques Leroy
他の出演者: アンリ・マルトー Henri Marteau、ルイ・グランディディエ Louis Grandidier、フィリップ・ガステ Philippe Gasté、ドミニク・ザンタール Dominique Zentar、ジャコ・ミカ Jako Mica、ジョー・タファネッリ Jo Tafanelli、スタン・ディリク Stan Dylik、ジョルジュ・フロリアン Georges Florian 他

コダック・イーストマン・カラー
105分。配給 = コロナ・フィルム
パリ、ヴァンデ岸(Vendee coast)にてロケ撮影、及びブーローニュ撮影所にてセット撮影。
パリ公開 = 1972年10月25日
日本公開 = 1972年12月16日。配給=東和
国内盤DVDあり。国内VHSビデオレンタルあり。海外盤DVDあり。DVD情報はこちら

なお、スタッフやキャスト等のデータに関しましては、主に「サムライ」(ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社刊)、「キネマ旬報 1973 616」(シネ・ブラボー ジャン=ピエール・メルヴィル追悼(1)山田宏一)、「Jean-Pierre Melville/An American in Paris」(Ginette Vincendeau著)の3冊を参考とさせていただいております。
また、スタッフの役職名等、映画本編のエンドクレジットとは多少表記が異なると思われる部分もございます。

スタッフ キャスト レビュー あらすじ



レビュー
原題の『Un Flic』とは「刑事」(デカ)の意。
ジャン=ピエール・メルヴィル監督のオリジナル脚本による作品であり、邦題の『リスボン特急』とは、映画の見せ場の一つである列車内麻薬横取りシーンの舞台がリスボン行きの特急ということであって、ストーリー全体の中ではさほど重要な意味のあるタイトルとは言えません。
原題の直訳では同じような邦題の映画が他にもあるために、このような邦題を付けたのだと思われます。

結果的に、メルヴィル監督の遺作となってしまいましたが、この作品は、古くは『賭博師ボブ』、『いぬ』から『ギャング』、『サムライ』、『仁義』に至るまで、メルヴィルが得意としていた「Police Thriller」、つまり、犯罪者と警察、刑事の間の葛藤や悲劇を描いた作品群の系譜に位置する作品であると同時に、『サムライ』、『仁義』と続いたアラン・ドロン主演3部作の最後となった作品でもあります。

この映画は、当時世界最高の美男美女であったアラン・ドロンとカトリーヌ・ドヌーヴの初共演がなんといっても最大の話題で、公開当時、日本でもかなりのヒットを記録したとのこと。
この二人の共演は、後に『最後の標的』(82年。監督:ロバン・ダビー)があるくらいで、二人のキャリアの長さを考えれば、大変珍しいことと言えるでしょう。
それ以前に『サムライ』、『仁義』に主演、とりわけ前作『仁義』で興行的にも大成功を収めていたドロンの今作への出演は当然としても、それまでメルヴィルと全く接点のなかったドヌーヴの出演は、当時としてもかなり意外なことだったのではないでしょうか。

大スター二人が抱き合うラヴ・シーンが売り物の一つとなったこの作品は、それゆえにか、以前のメルヴィル作品に比べると当時のフランス映画らしいオシャレ(?)なムードが濃く(それはエンディングのイザベル・オーブレの歌にも顕著)、以前のメルヴィル作品特有のドライなタッチはかなり薄まっています。
観客動員の面では、異常なまでのヒットを記録した『仁義』には及ばないものの、本国フランスでもそこそこのヒットだったようですので、興行的に失敗に終わったわけではありませんが、公開当時も、そして現在も、この作品への評価は決して高いとは言えません。



後年、アラン・ドロン自身、「『リスボン特急』は中途半端な失敗作になってしまった」というような言葉を残していますし、私個人の評価も、他のメルヴィルの傑作に比べるとかなり落ちる作品であるというものです。
もちろん、メルヴィル監督作品ですから、他にはない魅力的な映画であることは言うまでもありませんが、それを差し引いても、他のメルヴィル作品と比べると評価が厳しくなってしまいます。

その理由はなんなのでしょうか。

私個人の意見ですが、その大きな理由の一つは、ドロンとクレンナの関係、つまりは二人の男の友情関係に、観る者に訴えかけるだけの説得力が無いからではないでしょうか。
映画をご覧になれば分かりますが、二人の現在、そして過去の関係性が、映画の中で、言葉としても、また映像としても、観客を充分に納得させるだけの説明がほとんどなされていないのです。

もちろん、二人が友人であることは映画を観ていれば分かります。
しかし、おそらくは深い友情で結ばれているのであろう二人が、なぜ現在、刑事とギャングという正反対の立場に置かれているのか、そして、その立場の違いがありながら、二人を結び付けているのは一体何であるのか…これらの点を充分に説明するに足るものが映画に決定的に不足しているために、二人の関係の真意、ドヌーヴを巡る三角関係の微妙さ、そして、ラストの銃撃の意味合いが、観客に充分に伝わりきらないのではないかと思われるのです。

二人はレジスタンスの同志だったとの説もありますし、物語の設定上はおそらくそうなのでしょうが、映画を観る限りでは、そのことを観客に理解させるだけの説明がありません。
本来であれば、そういった過去を含めた二人の深い関係を観客に得心させるだけの何らかのエピソードがさらに必要だったのではないでしょうか。

もちろん、メルヴィル作品をこれまでご覧になっている方なら、そういった人間関係の大胆な省略はメルヴィルの常套手段ではないか、と思われる方も多いと思います。
当然、メルヴィルは、この作品においても確信犯的にあえてそうしているのでしょうが、それ以前の作品では、たとえ人間関係の説明の省略がなされていても、それを補って余りあるような意味深い描写がどこかにきちんと用意されており、決してその省略が映画的な欠点とはなっていなかったように思います。
ところが、この作品では、省略を補うべき描写が充分に用意されておらず、結果的に、省略がそのまま映画的欠点となってしまったのではないでしょうか。



このことは、この映画のラスト・シーンにも大きな影を落としてしまっているように思われます。

まず、この作品のラスト・シーンをご覧になれば、これが『サムライ』のラスト・シーンの焼き直しであることがすぐにご理解いただけるでしょう。
もちろん、焼き直しそのものが悪いということでは決してないのですが、それがどれだけ映画としての説得力を持っているか否かが問題です。
『サムライ』の場合、アラン・ドロン演じるジェフ・コステロがあえて警察の銃弾を受けるラストシーンには、そうなって然るべき、とでもいうような、ある種の運命論的な説得力がありました。
それは、『サムライ』という映画を始めから観ていれば、ラストでああいう展開になっても不思議ではない、と観客に納得させるだけの映画的な説得力を持ち合わせていたということです。

ところが、『リスボン特急』の場合、クレンナが拳銃を所持しているふりをしてまで、ドロンの銃撃を受けてしまう理由がよく分かりません。
いや、分からなくはないのですが、その説得力が映画的にいかにも弱いのです。
ドロンに銃を向けられ、全てを観念したクレンナが、友人であるドロンの銃撃をあえて受ける、そのことを観客が納得するには、やはり、それまでの展開において、二人の間の深い友情を感じさせる、なんらかの言語的、ないし映像的説明がもう少し必要だったと私は思います。

凱旋門をバックに、ドロンのアップを延々と映し出すエンドクレジットも、結局、その二人の関係の意味合いが伝わりきっていないままそのシーンへと流れてゆくため、ドロンの曇った表情に観客が感情を重ね合わせることが出来ぬままエンドロールとなってしまうのです。
付け加えれば、ドロンの顔をアップのまま写し続けるこのエンドクレジットの映像も、メルヴィルの映像としてはあまりに真っ当過ぎて、芸が無さ過ぎなのではないかという疑問も正直あります。

他にも、メルヴィル作品でいつも魅力的なナイトクラブのシーンも、この作品ではハッキリ言って魅力が感じられません。
特に、ダンサーの一人がドロンに向かって手を振り、それにドロンが応えるシーンに至っては、メルヴィルらしからぬ俗っぽさで、目を疑ってしまいます。

映画の大きな見せ場の一つである、クレンナによる列車内麻薬横取りシーンも、列車に乗り込んでからの着替え、見繕いのシーンを丹念に描写するなど、さすがに魅せてくれますが、20分の制限時間まで設けてリアル・タイムでたっぷり描いている割には、この麻薬横取りそのものが映画のストーリーのバランスから言ってそれほど大きな意味があるわけでもなく、サスペンスのためのサスペンスになってしまっているという印象も強いです。

ただ、よく指摘される、ミニチュアの列車とヘリコプターの模型がこのシーンで使われている点には、私個人はさしたる不満を感じません。
このことに加え、ルーヴル美術館のシーンのバックが書き割りであることが、ルイ・ノゲイラ著『サムライ』の押井守氏と矢作俊彦氏の対談でも指摘されていますが、そういった面でのリアリズムにはメルヴィルという映画監督はそもそもこだわりを持たない人だったと私は感じています。
例えば、ミニチュア模型はそれ以前の『影の軍隊』、『フェルショー家の長男』でも、それぞれ飛行機のシーンで使われております。
もともとスクリーン・プロセスを多用する監督であることからも、映像的にシーンの意味が伝われば、余計なお金は掛けないというのがメルヴィルのポリシーだったようにも思います。(実際、どこかで、そのことを指摘された際、「そんなことを言ったら、ヒッチコックはどうなる?」と開き直っていたと記憶しています。)
これらのことは、昨今のリアリティ溢れるアクション映画を見慣れた目には大きな不満となりえるかもしれませんが、この映画の欠点は、先に挙げたような、もっと他の面にあるというのが私の考えです。



以上、いろいろ批判めいたことをいきなり書き連ねてしまい、この映画のファンの方には大変申し訳ないのですが、当然のことながら、この作品ならではの素晴らしい魅力があることも言うまでもないことです。(誤解があるといけませんが、私ももちろんこの映画のファンの一人です)

この映画ならではの特色をいくつか挙げてみましょう。

まず、この作品の特色を一言で言うならば、“登場人物の視線に徹底してこだわった映画”ということだと思います。
セリフやナレーションよりも、視線が何よりもその心理状態を雄弁に物語っている映画なのです。
もちろん、その傾向はメルヴィルのそれ以前の作品にもありましたが、ここまで徹底はしていなかったのではないでしょうか。

中でも印象的なワンシーンを挙げますと、冒頭の銀行強盗の場面です。
先にクレンナ、プッスが車から降り、銀行に入ります。
次の順番はクッチョーラです。
しかし、彼には他の3人のような腹の据わった度胸はありません。
後に分かることですが、彼はリストラされた元銀行員で、ごく普通の家庭人なのです。

銀行内でクッチョーラを待ちながら、「遅い…。アイツ、大丈夫か?…」とでもいうようなクレンナとプッスの不安げな視線が交差します。
それから、車内のクッチョーラの何かに怯えたような視線、クッチョーラを促すコンラッドの威圧感ある視線と、4人の視線の動きがまるで一人の人間の視線のように同じような早さで次々と映し出され、クッチョーラが意を決して車を後にする…この間、ほんの数秒なのですが、この映像の流れが絶妙としかいいようのないほど見事なのです。



そして、この冒頭の銀行強盗のシーンは、人間味なく聳え立つ無機的なマンションの建物、海岸の荒々しい波、激しい嵐の中を一台の車がゆっくり銀行へと向かう描写など、『リスボン特急』全篇の中でも最も緊張感があり、観る者に冷え冷えとした映像の感触がそのまま伝わるかのような素晴らしい出来栄えとなっています。
事実、『リスボン特急』撮影後のメルヴィルに直接会った田山力哉氏によれば、メルヴィルはバックの波の音にも徹底的にこだわり、海の波を写したワン・カットのために15本もの録音テープを作らせたとのことです。

“視線にこだわった映画”だと先に述べましたが、登場人物の視線がいかにも意味ありげに映し出されている場面は他にもたくさんあります。
一部ですが、その例を挙げてみましょう。

銀行内のクレンナとプッスの背中に注がれる銀行員の警戒心のある視線。
殺された売春婦を無表情で見つめるドロンの視線。
若い男を愛おしそうに見つめる同性愛者ドサイの視線。
車内でドロンを見つめるオカマ(?)の情報屋のなまめかしい視線。
“仕事”から自宅に戻って鏡の中の自分の姿を見つめるクッチョーラの視線。
ナイトクラブでピアノを弾くドロンを見つめるドヌーヴの視線。
そして、その二人の姿を見つめるクレンナの視線。
ルーヴルでゴッホの絵を見つめるクレンナの厳しい視線。
病院で半死半生のプッスを空気注射で絶命させる際のドヌーヴの視線。
嘘の情報を掴ませたとドロンに打たれた後、ドロンを見つめるオカマの情報屋の恨めしそうな視線。
そして、コンラッドを警察に連行した後の、コンラッドの不敵な視線と、無表情なドロンの視線の無言の対決。
コンラッドを尋問した後、クレンナのナイトクラブでクレンナに「ヤツは吐いた」と呟いた後のドロンの視線、そして、それを受け止めるクレンナの視線。
そして、ラストシーンで交差するドロンとドヌーヴの視線、そしてエンディングで凱旋門をバックにアップになったドロンの視線…。

そして、“視線”といえば、おそらくこの映画で一番有名なのが、ドロン、ドヌーヴ、クレンナ3人の視線が交差するナイトクラブでのシーンですが、個人的にはドロンを見つめるドヌーヴの視線があまりに生々し過ぎるように感じ、正直言って、このシーンは世に言われているほどには成功しているとは思えません。

しかし、いずれにしろ、この作品は、視線で全てを語ってしまおうとしたかの如く、人物の視線に徹底してこだわった作品であることは間違いないでしょう。
その試みが全て成功しているとは言えないかもしれませんが、そこに強烈なまでの作家性を感じることもまた確かなのです。



それと、海外盤DVDを観て初めて分かったことですが、この作品は“メルヴィル・ブルー”によりこだわった映像美を味わえる作品で、その徹底ぶりには本当に驚くほどです。
このあたりのニュアンスは残念ながらレンタル・ビデオなどではよく伝わりませんので、国内盤DVDもようやく出たことですし、是非ともDVDで味わっていただきたいと思います。
この作品の撮影監督は、長年の盟友アンリ・ドカではなく、過去に『史上最大の作戦』(62年)の撮影を担当し、アカデミー賞撮影賞を受賞した大物キャメラマン、ワルター・ウォティッツ(ヴァルテル・ヴォティッツ)です。
ウォティッツは、メルヴィルの『影の軍隊』でも水中・空中の特殊撮影を担当しており、この『リスボン特急』においては、メルヴィルの意向を反映した見事な仕事を行ったと言えるのではないでしょうか。

また、ミシェル・コロンビエの効果音のように冷たく響く音楽も、ブルーの映像に大変よく合っています。

キャストはどうでしょうか。

『サムライ』『仁義』に続いて、これが3作目のメルヴィル作品主演となるアラン・ドロンは、ここでキャリア史上初めての刑事役を演じています。
この作品で、ドロンに役を振るに当たり、メルヴィルは刑事役、犯罪者役(シモン)のどちらを選んでもよいとドロンに伝えたらしいのですが、ドロンは脚本を読んで、どちらかというと活発な役はシモンの方だと感じつつも、犯罪者役はこれまで何度も演じてきたので、あえて刑事役を希望したのだそうです。
その刑事像も、ありきたりの正義感に溢れた善人ではなく、彼ならではの個性を活かした我の強い刑事像を打ち出しているのが印象的です。



私がドロン絡みで好きなシーンは、レストランでコンラッドを逮捕、オフィスで尋問するまでの一連のシーンです。
逮捕のシーンでは、電話で呼び出された客に扮したドロンが、おもむろに後ろに立ってコンラッドに抱きついて倒すシーンの“イキ”が見事ですし、オフィスにコンラッドを連行した後、無表情、無言のプレッシャーをかけつつ、拳銃から弾倉を抜いて、煙草(ゴロワーズ?)を一本与えるシーンも(あの火の付け方!)、緊張感があってメルヴィルらしいシーンだと思います。
また、クッチョーラが拳銃で自害するシーンで、あえてそれを一瞬待ってから中に踏み込み、介抱する振る舞いも、犯罪者に対する情け深さを感じさせる印象的なシーンです。

そして、儲け役と言えそうなのがシモン役のリチャード・クレンナです。
大きな見せ場である冒頭の銀行強盗のシーンも、リスボン特急での麻薬横取りのシーンも彼の活躍する場面であり、同時にドヌーヴ演じるカティの情夫役ですから、事実上の主役といってもいいくらいです。
彼のようなアメリカ人俳優(クレンナはイタリア系)がメルヴィル作品に主演クラスで起用されることはほとんど初めてと言ってよいほど珍しいことですが、メルヴィルは、クレンナの出演していたテレンス・ヤング監督の『暗くなるまで待って』(67年)を大変高く評価していたようですので、そのこともあって、クレンナに白羽の矢を立てたのではないかと思われます。

確かに存在感もあり、なかなか渋い魅力を発揮してはいるのですが、正直なところ、私個人はこの映画を観る度に、ドロンとクレンナの共演のシーンに、悪くはないものの何かしっくりこないな…という思いが拭えないのです。
もしかしたら、その点が先に私が挙げたような、二人の友情関係が映像として伝わってこないもどかしさに繋がっているのかもしれません…。



カトリーヌ・ドヌーヴは、クレンナの情婦でありながら、刑事のドロンとも関係を持つという女性カティを演じます。
メルヴィル作品に彼女のようなスター女優が出演すること自体珍しいことですが、例によって、その心の底が言葉で表現されることはほとんどなく、結果的に、彼女が二人の男のどちらに付くのか、最後までハッキリしません。
そのせいでしょうか、彼女のために用意されたと思われるいくつかのシーンが、どうも私には魅力的とは感じられないのです。
先に挙げた3人の視線が交差するシーンもそうですし、ドロンとの“投げキッス”のシーンや、ホテルでの密会のシーンなど、いくつかの“見せ場”が、期待したほどは良いシーンに見えないのは私だけでしょうか。

ずっと“男の映画”を撮ってきたメルヴィルにとって、カトリーヌ・ドヌーヴというスター女優を得て、どういう役柄に収めるべきか、もしかしたら迷いが出てしまったのでしょうか。
そういう意味では、ドヌーヴ個人の責任というよりは、脚本も担当したメルヴィルの責任は大きいでしょう。
もっとも、ドヌーヴは撮影時、後のキアラ・マストロヤンニを妊娠中だったために、あまり動きのない役となったようで、その影響もあるやもしれませんが…。

以上、主演の3人に対して述べてきましたが、この作品は、意外なほど脇役が充実している作品でもあります。

ギャング役のアンドレ・プッス、マイケル・コンラッドがアクの強い存在感を示していますし、リカルド・クッチョーラとシモーヌ・ヴァレールの演じる(表面上は)ごく一般的な夫婦役が、それまでのメルヴィル作品にはない不思議な味わいと奥行きを映画にもたらしています。
また、オカマ(?)の情報屋役のヴァレリー・ウィルソンの印象もなかなか鮮烈です。



他に、シモーヌ・ヴァレールの私生活の夫であるジャン・ドサイが、同性愛者の紳士役でワンシーンのみ出演しています。
『いぬ』で警視役を好演していたドサイが再びメルヴィル作品に顔を出してくれたのはファンにとっては実に嬉しいことですが、それだけに出演シーンが短いのがなんとも残念です。
それでもドロンとのツー・ショットが見られたのでよしとしましょう。

以上、長々と書いてきましたが、数多くの魅力的なシーンのある映画だけに、なんとも惜しい作品となってしまったという思いがどうしても消えません。
この作品がメルヴィルの遺作に終わらず、この後もいくつかの傑作を残していれば、「『リスボン特急』はイマイチだったねぇ」で済む話だったのかもしれませんが、元より作品の少ないメルヴィルの、よりによって遺作となってしまった作品だけに、ファンとしては見果てぬ夢を追ってしまっているのかもしれません…。

スタッフ キャスト レビュー あらすじ



あらすじ
激しい雨が降り注ぐ、12月23日の午後。
サン・ジャン・ド・モンの海岸沿いにある無機的なマンションの一群に、4人の男を乗せた一台の車(クライスラー)が乗りつける。

一方、クリスマスを前に賑わうパリには、パトロール中のコールマン刑事。
今日もまた、新たな事件の発生を知らせる無線電話が鳴り、彼の一日が始まる。

サン・ジャン・ド・モン。
先ほどのクライスラーからソフト帽にトレンチコート姿のシモンがまず降りる。
嵐のような暴風雨の中、向かう先はマンションの一角にある銀行である。
銀行の中に入ると、客を装って窓際のカウンターに位置を定める。
閉店間際ということもあって、銀行の中の人影はまばらだ。

二人目の男マルクが車から降りる。
シモンとはわざと時間をずらし、これもまた銀行の中へと入る。
三人目は気弱そうな男ポールだが、車の中から出るのを一瞬躊躇する。
運転手のルイの視線に促されるように、意を決して車を降り銀行へと向かう。
ポールが銀行に入るのが合図であったのか、先に入ったシモンとマルクは密かにサングラスで人相を隠す。
閉店時間ということもあり、ほとんどの客は銀行を後にし、銀行の外はシャッターが閉まる。
次の瞬間・・・
サングラスとマスクで人相を隠した男3人が、行員に銃を向け、金を要求する・・・銀行強盗だ。
両手を上に挙げ、素直に金を出す行員たち。
しかし、隙を見て、出納係の行員が札束を警報機の赤いボタンに投げつけ、けたたましい非常ベルが鳴る。
壁の影に隠れた先ほどの出納係は隠してあったピストルを手に取ると、マルク目掛けて撃つ。
マルクも咄嗟に出納係目掛けて機関銃を乱射するが、いきなりの銃撃を受けよろめく。
札束の入った袋を奪った強盗犯たちは待ち伏せてあった車に乗り込み、その場を逃げ去る。
撃たれたマルクはかなりの重傷である。
とある町の駅に車で乗りつけた強盗犯らは、パリまでの切符を買って列車に乗るカムフラージュをして、車に再び乗り込み、そこを去る。
彼らはとある空き地に穴を掘り、手に入れた金を一旦そこへ隠し、重傷を負ったマルクは病院に搬送される。



夜のパリ。
パトロール中のコールマン刑事の車へ、またも事件を知らせる無線電話が鳴る。
この日の事件は、場末のホテルでの売春婦らしい女性の殺人事件や、紳士と少年の同性愛売春を巡るトラブルなどだ。

街の裏角に車を停めたコールマンの元へ、女(?)情報屋ギャビーが運転する車が乗りつける。
ギャビーは、リスボン行きの特急列車で麻薬が運び込まれるという情報をコールマンに知らせる。
運び屋のあだ名は“運び屋マチュー”・・・ヤク運びの専門家で、税関吏もグルだという。
コールマンにとって、ギャビーは貴重な情報屋(いぬ)のようだ。

警視庁のコールマンのオフィス。
この日の案件は空港スリの3人組で、一見して外国人風であり、フランス語が分からないふりをしているが、コールマンが暴力に訴えると、すぐに嘘が露見する。

強盗犯の一人、ポール・ウェベルのアパート。
以前勤めていた銀行をリストラされ、表向きは新たな職を探しているようだ。
妻は夫の再就職を心配している。

自分たちの所業であるサン・ジャン・ド・モンでの銀行強盗を知らせる新聞をパリの街頭で買う、強盗犯の一人、ルイ・コスタ。

友人であるシモンが経営するナイトクラブに立ち寄るコールマン。
店はまだ開店前の準備中の状態だが、コールマンは慣れた雰囲気で店に入ると、ピアノを奏でる。
それを陰から見ているシモンの女、カティ。
二人の目が合う。
そこへ来合わす店のオーナー、シモン。
コールマンには、部下のモランから仕事に戻るよう催促する声がかかる。
カティに投げキッスをして去ってゆくコールマン、それに応えるカティ。
二人に複雑な視線を送るシモン。
コールマンが去った後、シモンはカティに、自らが実行したサン・ジャン・ド・モンでの銀行強盗の記事の出ている新聞を見せるが、カティは何もかも承知しているようだ。

ルーヴル美術館の館内。
そこへシモン、ポール、コスタの3人が来合わせ、密談をする。
入院させたマルクに警察の手が迫っているが、別の場所にどうやって移送するか・・・もしそれが無理なら・・・。



射撃場で早撃ちの練習をしているコールマンの元へ電話がかかる。
「今日はまずいが、明日なら」
誰かと会う約束をしているらしい。(後に電話の相手がカティであることが分かる)

マルクの入院している病院に車で乗りつけたシモンら。
シモンとルイは、医者に変装し、デュリュー教授がサインしたという偽造書類を使って、シュミット(入院した際のマルクの偽名)の移送を画策するが、婦長らしい看護婦に、患者の絶対安静を理由に移送を断られてしまう。
移送が無理と見るや、看護婦の扮装をしたカティがマルクの病室に忍び入り、昏睡状態のマルクを空気注射で絶命させる。

法医学研究所の鑑識課で、シュミットの死体を確認するコールマンとモランだが、身元の判明は難しそうだ。
そんな頃、ルイは新たな犯行に必要な車を探している。

コールマンはあるホテルの一室に向かう。
そこで待っていたのはカティである。
抱き合う二人・・・実は二人は男女の仲だったのだ。
シモンに気づかれることを恐れるカティだが、コールマンはすでに気づかれていると言う。



郊外のあばら家の中で打ち合わせをするシモン、ルイ、ポールの3人。
“運び屋マチュー”がリスボン特急でヤクを運ぶ情報は彼らにも入っており、そのヤクを列車内で横取りする計画を立てているのだ。
それが可能なのはボルドーとスペインとの国境の間、それも、ラモットとモルサンスの間の65キロだ。
普段なら列車は時速150キロで通過するところだが、今は工事中なので、時速30〜60キロしか出さない。
遂行可能な時間は20分。
手に入れたブツは奪った密売屋本人に売りつければよいし、そうすれば、どこからも文句は出ず、警察にも分からない・・・。

再び情報屋ギャビーからの情報提供を受けるコールマン。
例の“運び屋マチュー”の乗る列車は、パリのオーステルリッツ駅23時59分発のリスボン特急で、ボルドーに着くのが5時43分・・・そこでマチューはブツを受け取るのだという。

麻薬横取り作戦に参加するポールは、今度職探しのため夜行に乗ることになった、と妻に嘘をつく。

シモンのナイトクラブでは、カティがシモンの今度の仕事を心配している。
そこへ来合わせたコールマン。
3人はカウンターで飲み始めるが、3人の視線は、その微妙な関係を示すがごとく、どこか定まらない・・・。



雨の中、車でボルドーへと向かうシモン、ルイ、ポールの3人。
パリのオーステルリッツ駅では、“運び屋マチュー”が23時59分発のリスボン特急、寝台の個室に乗り込む。

コールマンら警察は、ボルドー駅のプラットホームで列車を待つふりをして様子を窺う。
そこに、ヤクを渡す手はずになっているギャング連中がプラットホームで列車が来るのを待っており、列車が停まると、数人のギャングがマチューにヤクを渡すため列車に乗る。

渡されたヤクの袋を鞄の中に詰めるマチュー・・・中身はヘロインのようだ。
ボルドー駅でヤクが渡ったことを見届けたコールマンは、地元署の連中に後を任せると、パリへと戻る。

ボルドー駅を出発したリスボン特急の背後に一機のヘリコプターが迫る。
乗っているのは、シモン、ルイ、ポールの3人だ。
位置を定めると、ヘリコプターから列車目掛けて降下するシモン。
列車の屋根に降りたシモンは、目的の車両のステップから中に乗ると、トイレで汚れを落とし、ガウンに着替えて、丁寧に身なりを整え、乗客に成り済ます。
麻薬横取りのため残された時間はあと10分。
しかし、そこへ別の乗客が来合わせてしまい、過ぎ去るまで時間を取られてしまう。
シモンは、その乗客が去るのを待って、マチューの個室の前に立つと、磁石を使って中の鎖錠を外し、合鍵を使って中に入り、すぐさまマチューを殴って失神させる。
気絶したマチューの口と鼻にガーゼを貼り付け、クロロホルムを数滴落とす。
ヤクの入った問題の鞄二つを奪うと、再びトイレに入り、列車浸入時に使った靴や作業着に再び着替える。



列車のステップに出たシモンは、ヘリコプターに懐中電灯で合図を送ると、ヘリコプターからはザイルが降りてきて、それにヤクの入った鞄の柄を通し、ヘリコプターへと送り返す。
ヘリコプター内で鞄を受け取ったポールは、再び列車のステップで待機しているシモンの下へとザイルを降ろし、それを伝って、シモンは制限時間ギリギリでヘリコプターへと戻る。
列車内では、意識を取り戻し、ヤクを奪われたことを知り、落胆するマチュー。
一方、シモンらは、もう一人の男と約束した場所でヘリコプターから降りると、待たせてあった車に乗って逃げ去る。

コールマンのオフィスにギャビーが呼ばれる。
なぜ呼ばれたのか理解できずにいるギャビーの顔を無言でいきなり殴りつけるコールマン。
あの後、警察はアンダイユで運び屋マチューを逮捕したが、ヤクはどこからも出てこなかったので、ギャビーがガセ情報を流したと信じ込んでしまったのだ。
なぜ殴られるのか理解できないと言い張るギャビーだが、恥をかかされ怒り心頭のコールマンには通じない。
ギャビーは、コールマンのオフィスから投げ出され、失意のうちにそこを去る。

そんな時、鑑識課から、コールマンの元へシュミットの検死報告書が送られてくる。
死体は実はマルク・アルブイという男で、写真を見てコールマンは、ルイ・コスタの友人だと嗅ぎつける。
例の銀行強盗と関連があるのでは?犯罪捜査課に依頼をしては?というモランに対して、怪訝な態度を取るコールマン。
モランがその場を去った後、マルクとルイとの関係が気に掛かるコールマンはシモンに電話をするが、留守。
すぐさま部長にも電話をして、マルクの件は新聞には内密に、と依頼しようとするが、時既に遅かった。

新聞に「銀行強盗の片割れか?」とマルクの記事が載っているのを手にするルイ。
食事のため、あるレストランに入るが、万が一に備えて、銃を隠し持っている。
そんな時、給士係の女性が他の客に電話の取次ぎをする。
「ジャンさん、あなたにお電話です」
ところが、ジャンとは、ルイがこの店に来ることを想定して、このレストランに客に成り済まして忍び込んでいたコールマンであった。
ルイの背後から羽交い絞めにして取り押さえるコールマン。
ルイが隠し持っていた銃はすぐに押収され、ルイは数人の刑事によって逮捕される。



警視庁、コールマンのオフィスに連行されるルイ。
ルイの手錠を体の前にかけ直させ、押収したルイの銃を受け取るコールマン。
無言で銃から弾倉を抜き、銃身の中身も抜く。
それを見ながら、余裕をかまし、ニヤつくルイ。
コールマンは、ルイの顔を何の感情も表さず、無表情で見る。
おもむろにルイのそばまで寄ると、たばこ(ゴロワーズ?)をルイに渡し、火をつけてやると、まずは、銀行強盗を自白させようとする。
「相棒は誰だ?」と問うコールマンに対し、しらを切るルイ。
「マジか?仮に俺が関わっているとして、仲間を売るとでも?」
「賭けるか?」・・・自信満々のコールマンに精神的に威圧されるルイ。

ルイが捕まったニュースを知ったシモンとポールが以前のあばら家で事後策を協議している。
ルイは吐かないと信じているシモンだが、ポールはどこか不安げだ。

時が過ぎ、夜になり、シモンの店に現れたコールマン。
いつものようにシモンと二人で飲み始めるが、いきなり切り出す。
「マルク・アルプイのことを知ってるか?」
「いや」・・・しらを切るシモン。
「ポール・ウェベルは?リストラされた元銀行の店長補佐だ。」
「全く分からんな」・・・またもしらを切るシモン。
二人の間に微妙な空気が流れる。
「じゃ、ルイ・コスタは?」
「コスタ、コスタ・・・そんなヤツは知らない」・・・これまたしらを切るシモン。
「ヤツはお前のことを知っているぞ」
それだけ言って、店を立ち去るコールマン。
自分のオフィスに戻ったシモンはすぐさまポールに電話すると、ちょうど帰宅したばかりのポールが電話に出る。
「ポール、ルイが吐いた」
「まさか」・・・夫の様子を不安気に見つめるポールの妻・・・。
「逃げろ、ポール」
そんな時、ポールのアパートの前に停まる警察の車。
「もう遅い。お迎えだ」
「俺が悪かった、ポール。またな」
無言で電話を置くポール。
ポールの部屋のベルが鳴り、妻が玄関を開けると、コールマンら警察が中に雪崩れ込んでくる。
万事休すと思ったポールは拳銃を自らに向ける。



早朝、凱旋門そばのsplended hotel。
密売屋に売りつけるための麻薬を鞄に詰めるシモン。
カティに迎えに来るよう電話をするが、その話の内容はコールマンら警察に盗聴されている。
ホテルの前でカティを待つシモン。
通りの向かい側に車で乗り付けるカティ。
その時、コールマンが後ろから声を掛ける・・・「シモン、待て」
銃をシモンに向け「動くな、シモン」
手を胸元に持ってゆくシモン、その瞬間・・・コールマンの銃が火を吹く。
倒れるシモン。
コールマンら数人が駆け寄り確認するが、シモンは丸腰だった。
「早まったんじゃ?」とモランに問われ、
「てっきり俺を撃つ気かと」・・・呆然とするコールマン。
そこへいつものようにパトカーに別の事件を知らせる無線電話がかかる。
通りの向かい側にいるカティとコールマンの目が合う。
無言の二人。
カティは目を伏せ、うつむいたまま。
凱旋門をバックにシャンゼリゼ通りを車で後にするコールマンとモラン。
友と恋人の二人を同時に失ったコールマンは呆然と車を走らせる。
モランがガムを勧めるが、コールマンは首を横に振る。
新たな事件を知らせる無線電話のブザーが再び鳴るが、コールマンの気持ちを慮ったモランは電話を取り次がない。



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